ただ、一切は過ぎていく

目が合った。窓ガラス越しに。
「欠伸をしていたね」
やっぱり。見られてたと思ったんだ。だって私も見てたんだから。


久しぶりなのかそうでないのかわからない学校は悔しいけれど楽しかった。

夏期休暇が終わった。
何かが終わると何かが始まる。

「朝に会ったあの人は講義には参加してないね」
「どうしたんだろう」
「朝はにこやかに先生と話してたよ」
「辞めたのかな」
「あんな笑顔で?清々しいね、羨ましいよ」
もちろん羨ましいが私の言葉であり本心である。
でも彼はきっと辞めてないだろう。


最近は勉強もせずに本を読んだりDVDを観たりして、濃い人間関係を傍観していた。
羨ましいと思う一方で、こんなの現実には存在しないのじゃないかと頭の隅で考えていた。
頭の隅の考えは一瞬で全部を覆って現実感が増す。

初めて誰かを心底好きになってみたいと思った。でも頭の隅でそんなの絶対無理だと思った。
自分のことをよく理解してるから、私が他人を好きになることがとても困難であることも理解している。

ただ安心したいだけなのだ。頼りたいし頼られたい。
何もしてないのに、いつの間にか誰かの力になっているような人間になりたかった。


学校が始まったことをなんの抵抗もなく受け入れたこの身体が許せない。
目覚まし時計ですんなり起きれた自分に呆れる。
とりあえずは惰性でやっていこうと思う。
モチベーションは低く、最低ラインを目指す。

何もしてない。何もしてないけど。

最後にこれだけ頑張ったんだからもう死んでもいいんじゃないかなって思う。
とはいえ、死ぬ前に逃げることを選んだ方がいいし、それには誰も賛成しないだろうから独断で決めるしかないし、もういい大人なんだから、友人もいないんだから、消えたところで心配されることもないとわかってる。

どうして自殺なんだろう。どうして逃げられないんだろう。いつも不思議だった。

それはたぶん四面楚歌じゃないから。この場所で守らないといけないものがあるから。失うものがあるから。
死んでしまえば責任がなくなる。でも生きてる間は責任や良心の呵責に苛まれ続ける。

いつも考えてる。あとどのくらい生きたら死んでもいいだろうかって。
読みたい本があるんだ。
観たい映画があるんだ。
それらがなくなることがあるんだろうか。
私は5年後、どんな風に生きてるだろうか。やっぱり結局生きてるんだろうなって思う。

最近夜目が利かなくて、夜のドライブが命がけ。なんで見えないんだろう。
でも今日も行きたい。最後の土曜日だから駄目だよ。

胃に穴があくまで、骨が擦り切れるまで、誰に文句を言われなくなるまで頑張ってから考えよう。
帰る場所もないのだし。

久しぶりに炭酸が飲みたい

衝撃的にいい本に出会ってしまって勉強なんてしてる暇はない。
明日台風が来ようが、車で学校まで行って全く勉強をしてないことをみんなに告げなければいけない。

結局昼寝と書店めぐりで一日が終わる。
夜のドライブに行きたい。

暑さの中、たくさん歩いた後に飲んだカフェモカは最高に美味しかった。
涼しい車で出掛けた喫茶店のカフェモカは甘すぎて頭が痛くなった。

夜の9時以降に何かを食べることに抵抗がなくなった。

肋間神経痛のような痛みで呼吸困難。
ほっといたら死ぬかもしれないと思うと気が楽になる。
そんなことを考えているから肋間が痛むのかもしれない。