私たちの明日

前回の話の延長線。


「生きている意味が分からない」
「楽しみがない」
という話を、職場の穏やかな昼下がりに投下した。わりと堂々と「もう生きる必要もない」というところまで宣言した。

家庭を持たない年齢層の近い人たちばかりがいる日だったからか、わりと共感を得た。休みの日は暇すぎてろくでもないことを考える。私たちはずっとこのまま、この生活のなかで徐々に弱って死んでいくのだ。こんななかで、どうしても長生きはしたくない。

仕事しかしていない。かといって仕事以外にすることがない。でも仕事が好きなわけではない。守りたいものもない。私たちには何もない。

暇すぎるのがよくない。仕事が終わってから仕事が始まるまで、果てしなく暇なのだ。とにかく暇なのだ。信号待ちの時間でさえも暇なのだ。

きっと考えてはいけないことを考えている。

仕事を辞めたら暇すぎて病むかもしれない。
たくさんのことを選んできたけれど、この選択が正しかったのだと思える日が果たして来るのか。

こんなに寂しいのに、眠れなくなるくらい悲しいのに、結局こんなことでは死なないという事実に途方に暮れている。
どうにかやり過ごすなんて無理だ。みんなそんなもんだと言われても私には無理だ。
この悲しみと絶縁したい。


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