明日は檜になろうぞ。

実は職場でコロナ陽性者が出て、私自身はPCR検査は陰性ながらも、濃厚接触者として約2週間にわたり自宅待機を命じられていた。

一人暮らしのため、最低限の買い物だけは許可されていた。期間が長すぎたので買い物は2回ほど行った。何もしていないのにずっとお腹が空いていたし、動いてないからいろんなところが凝るし、筋力も体力も落ちるの心配だし、永遠にお腹が空いてるし。でも大掃除もできたし、レポート書いて資料作りもできたし、溜まっていた本もそこそこ読めたし、字面だけ見たらなかなか有意義に過ごせたのではないか。しかし暇を極めた。ワンルームの大掃除もレポートも資料作りもそれぞれ1日もかからないもの。読書には気持ちが必要だし。2週間とはこんなに長いものだったのか。それなりにストレスは溜まった。まさか仕事がしたい!と思うとは思わなかった。

それにしても、期間中誰からも連絡がなかったことがショックで仕方ない。やりとりを続けている同僚とは会話の流れで出たけれど、その程度。確かに濃厚接触者がみんな自宅待機させられている中、職場はきっと忙殺されているだろう。でも一言だけでも、忙しさの愚痴でもいいから、誰かしら連絡をくれてもよかったのにと思わずにはいられない。せめて同期の人たち。逆の立場なら、こんな私だって一言くらい送るよ。

でも私は感染者ではないし、ほったらかしも仕方ないか。対応やらでも色々と忙しかっただろうし。みんなの顔を忘れてしまったよ。

このままいなくなってもきっと誰も気づかないんだろうな。いっそいなくなってやろうか。

ちゃんと心配してくれる人や気にかけてくれる人を信頼していこうと思った。

しかし社会から断絶されると、こうも自分の存在自体が怪しくなるものなのだな。世間的にはきっと、私が死んでしまったときと同じような状況だったのではと思う。誰も思い出さないし、誰も困らない。人員としては必要かもしれないけれど、その程度。いる意味あるのかな、なんて。恋人も友人もいないし、作業をこなすためだけに存在しているのなら代えのきくロボットだなって。

誰にも認識されていないと、私自身も自分のことを忘れそうになる。他者を介してしか自分が存在していることを実感できない。まあでもひとり大好きだけど。

いくらでも時間があったから、ときどき暗いことや無意味なことを考えていたけれど、だいたいはお腹すいたなーとしか考えてなかった。なるほど誰も心配してくれないわけだ。

お給料もらってるし、頑張ってロボットを続けます。

でも実は今回の件で一番の不満は欠勤扱いであるということ。私が休みたくて休んだ訳じゃないのに、休業手当ても微々たるものだし、給料減るか有給減るか。暇を極めていたのだから仕方ないのか。うーん世知辛い。来月は貯金できないかな。
とはいえ働けてることに感謝しろってか。ありがとうおやすみ!

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追伸
ここに書いたことは、もうこれ以上は愚痴らないこと、心に仕舞うこと。
社会の仕組みをひとつ学んだ。経験値アップ。