永遠になくならないと思っていたコピー用紙もいつかなくなる

何かあったことに気づいているのに、それに対して「どうしたの」「なにがあったの」と言えないような人にはなりたくなかった。だってあんなにも落ち込んでますアピールされたら。私なんて、なんの役にも立たないとしても。気づいてる人がいることを知らせれただけいいんだと思う。彼女はあれだけ落ち込んでたのに、誰も気づいていないような気がした。

人は不満を誰かと共有しないと不満な生き物だ。どこにいても。ここは健全だと思ってた場所であっても、人と人が関わればそういう話は出る。不満っていうのは自分に対するものとか、生き方に対するものとか、内側に向くものもあるけれど、そんなのはその辺でぺらぺら話したりしない。でも外側に向くものは何処でも話す。そういうのはここへ来てから知った。知らない私がそばにいてもお構いなしなのだ。遠回しに本人に伝えたいんだろうか。

しかし、30歳、40歳の人がハタチの子のことをどうこう言うことはないんじゃないかと思う。嫌だなって思うのは、この人たちってこういう人たちなんだって思ったから?きっと私のことも言ってるんだろうなと思ったから?ただ共感できなかったから?どれにせよ気持ちのいいものではないだろう。だってあれは注意ではない。
私もこの不満を誰かに聞いてもらいたくなってる。

頑張ってても認められないときはどうすればいいんだろう。頑張ったのに方向が違ったときはどうすればいいんだろう。
誰が気づいてくれるんだろう。誰か気づいてくれるんだろうか。
誰もいなくてこわい。

私だって落ち込んでますアピールをしてみたい。