喋りすぎた翌朝

例えば私が誰かに「学校を辞めたいと思ってるんだ」と打ち明けたとする。そのとき、私が望んでいる答えはなんだろう。辞めたい気持ちを肯定してほしいのか、辞めないでと言ってもらいたいのか。私はどちらも確実に望んではいない。
そうなんだね、と受け止めてほしいのか。ただ聞いてくれるだけでいいのか。
肯定されるのも否定されるのも同情されるのも励まされるのも嫌だ。「私にはあなたの気持ちがわかるよ。だからいつでも相談に乗るよ」オーラを出されるのは最悪だ。わかってたまるか。

しかし本当に自分の望む答えを自分で用意することができない。
これはきっと人による。この人からはこういう言葉がほしい。

何かを打ち明けるとき、相談ごとをするとき、ほしいのはきっと相手の意見ではない。私のほしい言葉だけ。だから言う人を選ぶ。しかし慎重に選んでも望む答えが返ってくることなどほぼない。それで失望するのは自分勝手すぎる。相手と私は別の生き物なのだ。

自分が心底悩んでて、それを打ち明けたところで何も楽にはならない。選べるほど知り合いもいない。
何かを言ったとき、それを後悔することが言う前からわかってる。なのに聞いてもらいたいなんて矛盾だ。

私は彼女の望む答えをちゃんと言えただろうか。


夏休みだというのに毎日とても疲れてる。
眠くて眠くて、眠ったらもう二度と目覚めたくない。


きっと落ち込むんだろう。