死ぬことはひとつの出来事(イベント)ではないのだ、とは聞く話。どういうことなのか未だによくはわからない。けれどそうなのだろうと思う。

生まれてしまったら死ぬことは勝手に決められる。世の中こうやって絶対に切り離せないものだらけだ。生まれたその瞬間から死に向かっていく一方。逆はありえない。つまり、厳密にいうと、この世に存在した瞬間からゆっくり死んでいくわけだ。成長するとは徐々に死んでいくことだ。なるほど生きることは死ぬことだ。

ということは生まれることは出来事であるような気がする。

結局どういうことなのかよくわからない。でもこの考えでいくと、出会いは別れである。出会った瞬間からゆっくり別れていっていることになり、別れとは出来事ではなくなる。そんな馬鹿な。

 

終わりは救いだ。終わりがあるから安心する。いつか死ぬのだからと安心して生きられる。死は大発見だ。それ以後を発見した人がまだいないことが唯一の不安。まさか死んだ後もまた生きてたらと思うと死の安らぎが崩壊する。もちろんホラー的な意味ではない。

本当に、どれだけの人が死ぬことを思って心を軽くしてるだろう。私はそれはもう計り知れないくらいの人がそうだろうと思っている。もちろん死について考えることと、死にたいこととは全くの別物だ。

けれどもしも死に痛みや苦しみが伴わなければ、人口はだいぶ減るのではないか。死は痛いか苦しいか、何も感じなくなるか、とにかく普通ではない。だから仕方なく生きる。仕方なく生まれて仕方なく生きて仕方なく死ぬ。うまくできてる。

 

ここまできたら諦めるわけにはいかないの。

地元の夜空が綺麗で馬鹿みたいに空を見ながら歩いた。ここでもこんなにたくさんの星が見れるんだ。たくさんといっても点々とあるだけで、人の数ほどの星もない。けれどとても綺麗だった。これでこんなに綺麗なのだから、もっとたくさんあるともっともっと綺麗なんだろうな、と。

ずいぶん遠くにあるな。私、あのうちのひとつになってもいいな。

この宇宙に存在してる星と今まで亡くなった命とでは、どちらが多いのだろう。

私は流れ星を見たことがない。