深夜1時の外で、風の音も虫の声も何も聞こえない完全なる静寂を聞いた。
私が歩く音だけが音の全てだった。

だというのに、違う日には夜中の鳥の声に悩まされる。チュンチュン、カーカー、騒々しいな。私は眠れそうにない。
うまいこといって深夜1時にベッドに潜り込めたとしても、全然眠くならない。久しぶりですね、不眠さん。朝日が早いから目覚めも早い。そんな話をしたら「不眠症に幻聴か」と言われてしまった。笑い事である。


表情や態度には全く出ていないけれど、この人めっちゃ怒ってんなあ、っていう人を見た。というか怒りの矛先は私だった。私もすっかり反省してる振りをしながら、全く別のことを考えていた。


喜怒哀楽の哀こそ人間らしい感情だなあと思った。人間からどんどん離れていっているような気がする最近。

オムレツと塩焼きそばとアボカドとベーグルが食べたい。
明日と明後日の朝ご飯がないことに絶望している。

今、冬がはじまればいい

言葉にしたら負けなのだ。

勝敗があるわけではないが、後悔することだけはわかっている。

もう本当に耐えられそうにないような出来事に出会って、それを誰かに愚痴ったとして、「そうだね」と受け止めてもらうことができたとして、何もすっきりしないことがわかっている。その瞬間、誰かに聞いてほしくて仕方なかったけれど。もう、過ぎたんだ。辛かったなあ、死んでしまうかと思った。

今までゆっくり時間をかけて築いてきたものが一瞬で粉々に壊れてしまったような気がする。ここからどうやって立て直すのか、その方法がわからない。いっそ逃げてしまいたいと思ってる。

失うものなんて何もなければよかったのに。
上っ面で生きていくことを受け入れなければいけない。


嫌いっていうのは、好きよりもよっぽど厄介な感情だ。

自分を好きな人はどうやって自分を受け入れてるんだろう。

なんだかものすごく評判悪い人とも普通に会話できるものなんだなと思っていた。そうだな、私の前で失態を犯してくれたわけではないから。私には私から見た他人しかわからないから。とても悪い噂は聞いてるが、私に害がなければそんなもの、他人と区別する理由にはならないし、まったく何も関係ないんだ。あまり知らない人はみんな一括りでいいや。他人の評価で自分の中が上書きされるのが嫌だ。人間なんて嫌だ。なんとかなるなんて思ってる自分が嫌だ。死んでくれないか。

プレイリストに暗い音楽しか入ってなくて、明るいのを探してるとこ。

選んだ道の正しさを祈った

「世の中にはいじめる人といじめられる人がいるから、あなたはそれを助ける人になってください。そうなれる人だから。」と涙ながらに言われた。「私はずっといじめられてきた」とも。そんな立派な人間にはなれない。正直、頭の片隅では「え、なんで泣くの」とか考えていたんだから。

私はずっと傍観者だった。興味ないんだ。
私は主犯よりも見て見ぬ振りをする奴のほうが悪だと思う。だから私はずっと悪だ。自分のことも他人のことも見ようとしない。だからたぶん何も気づけない。誰にも手を差しのべられないし、差しのべる機会すら見逃す。

そもそも優しくすることさえ躊躇うんだ。なんせ優しい人だとか思われたら迷惑だろう。


過去に拘ってるのは周りばかり。周りが気にするから、こちらに返ってくるのだ。私に、もう忘れさせてくれよ。触れないのは優しさか、敬遠か。どうして消えないんだろう。