選んだ道の正しさを祈った
「世の中にはいじめる人といじめられる人がいるから、あなたはそれを助ける人になってください。そうなれる人だから。」と涙ながらに言われた。「私はずっといじめられてきた」とも。そんな立派な人間にはなれない。正直、頭の片隅では「え、なんで泣くの」とか考えていたんだから。
私はずっと傍観者だった。興味ないんだ。
私は主犯よりも見て見ぬ振りをする奴のほうが悪だと思う。だから私はずっと悪だ。自分のことも他人のことも見ようとしない。だからたぶん何も気づけない。誰にも手を差しのべられないし、差しのべる機会すら見逃す。
そもそも優しくすることさえ躊躇うんだ。なんせ優しい人だとか思われたら迷惑だろう。
過去に拘ってるのは周りばかり。周りが気にするから、こちらに返ってくるのだ。私に、もう忘れさせてくれよ。触れないのは優しさか、敬遠か。どうして消えないんだろう。
失敗したら即退場
やり直しを許さない日本の風潮が嫌いだ。
誰にでも、更生する機会があるべきだ。責任の取り方がさようならというのは無責任の気がする。失敗した人にしかわからない世界があるし、同じ轍は踏まぬという意思も芽生えるだろう。責任とって辞めろ、じゃなくて、責任とって挽回しろよ、という責め方ができないものか。それを生かすか殺すかは本人次第だとしても。せめて1回目なら。
ということで、誰か私に失敗を許してください。これからする失敗を。
人生について考えたらこんな場所に居るべきではないという結論にたどり着いた。
したいことをするのが人生だとは思わない。でも心が削られていくようなこの場所にずっと居続けられる自信がない。
ということで、私は逃げたい。そろそろ死にたい。
でも全部清算しなきゃ駄目なんだ。なんせ責任がつきまとってるから。
清算するには5年くらいかかりそう。
5年、5年後この気持ちが続いていたら、もう終わらせてもいいんじゃないかと思ってる。
まず逃げよう。私から。そこから考えよう。