悲しいときは悲しむといい

卒業式の季節となりました。
なぜか先輩らと一切交流のない私が送辞を言うことになって、完全なる人選ミスである。
思い出が欠片もない。いい笑いものである。

しかし山場はあとふたつ。

慰め方が雑だと慰めている相手に言われた。もう慰めてやらないぞ。
「今がピークだよ」「これ以上悪くなりっこないって」っていうのは駄目だった?でも言い返せるくらい元気そうで何よりさ。
君は真剣に慰められると逆に落ち込むだろ。私がそうだったんだから。


明日の朝ごはんがないことに真剣に悩む、日曜深夜。

おやすみがほしい。

危機管理能力のなさに危機を感じる

この三連休は人生について考えていた。生きることと死ぬことと、人間であること、幸せって?今までずっと生きてきたから、死んだことがないから。未だかつて死んだ人に会ったことがないから。死んだらどこにいくんだろう。生まれる前はどこにいたんだろう。深い、人生の渦にはまってしまった。
どうして幸せにもなれないのに生きていかないといけないの?信じられる人もわかりあえる人もいないのに、信じてるってそういう振りをしないといけないの?
私ではない誰かのことを考えていた。私なんていない気がしている。とても惨めな気分だ。心に取れない染みができて、それをみんなに見られているみたいだ。
利用されていると思うし、利用していると思う。人と関わること全部が。人間の悪いところばかりを見ている。だから悪い人間になるんだろうか。ひとりでいられたら十分なのに。

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背中を押されるとすごいエネルギーをもらえることを知ったのはつい最近だ。文字通り、動作として。言葉はない。「行ってきます」の後の、とん、だけで頑張ろうと思えた。全く知らない人だったけど。力をもらうってこういうことなんだと思った。頼んだよって言われたみたいだった。言葉で頼んだよって言われるよりも何かが伝わってきた。ずっとあの場所に居たら気づけなかったと思う。変わるってすごいことだ。

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芸術的なスノーボード競技を見ながら、人間の形はこのスポーツをするための形だったのだと思った。
かっこいい。実況さんもずっと言ってたね。
「いやーかっこいいですね。渋いですね」